Secret History

掘削の秘史

2009年春、 大久保道榮が現地に入る。
これより約1年に渡る富士山の周辺の地形 ・ 地質等の調査を開始する。 富士山資料館の職員を始め関係者逹とも友人になったが温泉掘削に関しては全く相手にされず、誰に聞いても「ここは昔から温泉どころか水も出ない」と否定された。しかし、全員に否定された事で私の想いは確信へと変わり、十里木別荘地内(旧大昭和)に10ヶ所(lヶ所約150坪)の土地を買いその中から掘削を行う場所の選定を始めた。当初、掘削期間は1年~1年半を予定していたため地形的には良いと思える場所でも、定住者が隣接していたりと掘削の機械を設置するのが困難など条件の合う場所は限られたので最終的には2ヶ所に絞られた。更に私は熟慮に熟慮を重ねた末に現在の源泉地である裾野市須山2255-2677に決定し静岡県温泉審議会(年2回開催)に申請を出した。そして保健所の許可が下りようとした矢先に、別荘地域の富士山周辺は規制がとても厳しいので裾野市の土地利用委員会の了解が必要との指摘を受ける。これを2~3ヶ月かけてクリアし土地利用委員会の許可を得て県へ再度申請、許可を貰う事が出来た。しかしながら掘削工事を開始する為に解決しなければならない更なる問題がまだ有った。何と、別荘内の所有者の中に一人でも反対者がいたら掘削工事を許可する事は出来ない為、所有者全員の許可を取って欲しいとの申し入れを管理事務所より受ける。そこで私は何回も説明会を開き地域活性化の為であること、別荘地の資産価値を高めること、温泉は日本の文化である、と力説した。そんな事を繰り返しながら6ヶ月の月日を経て所有者全員の了解を取る事に成功し、改めて県知事に申請し期間内に1500m掘っても温泉が出ない場合には元に戻して工事を終える事を条件に許可を得た。最悪の結果は元に戻す・・・こんなリスクを負ってまでする仕事が他に有るだろうか?だが、やるからには私自ら”出ない”と思わないことだ。絶対に出ると信じて、出た時を夢見る浪漫に私の全てを賭けてみた。
2009年春、 大久保道榮が現地に入る。
これより約1年に渡る富士山の周辺の地形 ・ 地質等の調査を開始する。 富士山資料館の職員を始め関係者逹とも友人になったが温泉掘削に関しては全く相手にされず、誰に聞いても「ここは昔から温泉どころか水も出ない」と否定された。しかし、全員に否定された事で私の想いは確信へと変わり、十里木別荘地内(旧大昭和)に10ヶ所(lヶ所約150坪)の土地を買いその中から掘削を行う場所の選定を始めた。当初、掘削期間は1年~1年半を予定していたため地形的には良いと思える場所でも、定住者が隣接していたりと掘削の機械を設置するのが困難など条件の合う場所は限られたので最終的には2ヶ所に絞られた。更に私は熟慮に熟慮を重ねた末に現在の源泉地である裾野市須山2255-2677に決定し静岡県温泉審議会(年2回開催)に申請を出した。
そして保健所の許可が下りようとした矢先に、別荘地域の富士山周辺は規制がとても厳しいので裾野市の土地利用委員会の了解が必要との指摘を受ける。これを2~3ヶ月かけてクリアし土地利用委員会の許可を得て県へ再度申請、許可を貰う事が出来た。しかしながら掘削工事を開始する為に解決しなければならない更なる問題がまだ有った。何と、別荘内の所有者の中に一人でも反対者がいたら掘削工事を許可する事は出来ない為、所有者全員の許可を取って欲しいとの申し入れを管理事務所より受ける。そこで私は何回も説明会を開き地域活性化の為であること、別荘地の資産価値を高めること、温泉は日本の文化である、と力説した。そんな事を繰り返しながら6ヶ月の月日を経て所有者全員の了解を取る事に成功し、改めて県知事に申請し期間内に1500m掘っても温泉が出ない場合には元に戻して工事を終える事を条件に許可を得た。最悪の結果は元に戻す・・・こんなリスクを負ってまでする仕事が他に有るだろうか?だが、やるからには私自ら”出ない”と思わないことだ。絶対に出ると信じて、出た時を夢見る浪漫に私の全てを賭けてみた。

工事完了までに生じた様々な問題

工事完了までに生じた
様々な問題

不慣れな寒冷地での掘削工事は冬に水が凍ってしまうという問題に直面する。業者も初めての出来事だと思い付く対策が無く工事は全く進展せず最初の1年目は冬季の4ヶ月を無駄にする。更に工事を再開したとしても今度は掘削に必要不可欠な水が確保出来ないという新たな問題にぶつかる。通常の掘削工事ではポーリング時の摩擦を防ぐ為に上から水を投入しそれを循環して再度投入するのだが、この土地の地層は溶岩で出来ている為に笊の様なもので投入した水が地下に全て吸い取られてしまい全く戻って来ないため水道水だけでは必要な水量が確保できないのだ。これも何とか解決には至ったが、準備や何やと工事が出来ない日々が続いた。
震災
2年目には3· 11の東日本大震災が発生し、更にその後に続いた静岡県東部地震でそれまで掘削した井戸の内部が崩落し地中にある掘削用のシャフトとドリルが埋まってしまったので、特殊な機械で抜くのに3ヶ月を要する。しかし造成の際に十里木の地盤を考慮し熟慮を重ね、櫓を建てる為のコンクリート基礎を通常よりも硬く頑強に作っていただく様に南麓建設に依頼をしていたので、あれほどの大地震で有ったのにも関わらず28m近い櫓が倒れる事は無かった。だが流石に全くの無傷ともいかず2倍近く頑丈に作ったコンクリート基礎には大きな亀裂が走り当時の震災の甚大さを未だに物語っている。震災当日に櫓の天辺で作業をしていた職人が言うには「5~6分に渡って振り子の様に大きく揺れ100%倒れると思った、もう終わったと思った」との事だ。今思えば、あれほどの災害に直面しながらも無事故で工事を終える事が出来たのは奇跡としか言いようが無いが、苦難を乗り越える為に尽力してくれた業者の努力が有ってのことに間違いは無い。皆様には改めて感謝を申し上げたい。
圧力
こうした大きな壁とも言える様々な問題に加え、周りからの「温泉など出ない」「傷が浅いうちに辞めた方が良い」という否定的な意見や、現場に掛かる費用の捻出にさすがの私も幾度も心が折れそうになる。
業者
そんな矢先に掘削業者である藤田ボーリングの藤田社長が精神的に追い詰められたせいも有ってか持病のヘルニアの悪化で入院、それに伴い工事は一時中断する。退院後に藤田社長が自ら私の所へ赴き「申し訳ないが、ここで掘削工事を終わりにしたい」との申し出を受ける。しかしここまでやって中途半端に辞める訳にはいかないので「私は日本一の削井士であるあなたの腕を信じてここまで来た。あなたに掘れない井戸は無い。契約通り1500mまで何としても掘ってくれ、掘って温泉が出なくてもきっちり精算はする」と約束を交わし藤田社長も了承、工事再開となる。
別荘地特有の事情
しかし、別荘地内での工事には朝8時~夕5時までとの規約が有るため工事時間も準備と片付けを入れると僅か7時間足らずと、通常の掘削工事と比較すると同じ深さを掘る為には3倍も時間がかかってしまう。また岩盤の固さは削井士達の想像をするもので一日掘って通常20~30mの所が2mだったり80cmだったり・・・と、望む結果を出せずついに工期満了日を迎えてしまう。
世界の壁
工事は一旦中止となり県に対して掘削工事の期間延長を申請する。しかし当時は、静岡県が山梨県と共同で富士山の世界遺産登録を目指して保全活動に取り組んでいる最中だったために、自然環境や景観を損なう掘削工事の期間延長は難しいとの判断が行政側より伝えられる。が、ここで手を引く訳にはいかないのでこれまでの私の温泉人生の経験を踏まえ、温泉を掘削する事で生まれるメリットやその価値、周囲に及ぼす経済効果などを説明し真摯にお願いをする事で、行政に諸事情を鑑みていただいた結果6ヶ月の延長許可を取得する。
期日間近
2012年4月、期間延長の許可を似って再開するものの現場が抱える困難な状況は変わらず果たして6ヶ月で1500mに到達するのか?先の様な奇跡はもう次は起きない・・・と不安は残る。しかし、そんな私の不安を払拭するかの様に1000mを超えた辺りから掘削距離が一日 15~20mと延び始める。削井士たち曰く「堅い岩盤を抜け柔らかい粘土質に突入した」との事。この報告を社員より受けた私は毎日のように現場へ足を運ぶ。遠方から通う職人たちを時に励まし、時に宥め、時に発破をかけ続けた結果、買った差し入れのパンやカップラーメンは数知れず・・・あまりに大量のパンを連日にわたって買うので近くのコンビニの店員さんたちにも顔覚えられ「何をしているのですか?」と不思議がられるほどである。
記念日
忘れもしない2012年9月29日、延長期間の満了まで後5日を残してついに深度1500mへ到達。その二週間ぐらい前まではまだ1300mには届いておらず、工期にまた間に合わないのではないかとの現場の不穏な空気に押し潰されそうだっただけに掘削完了の一報は私にとって何にも代え難いものだった。苦節3年、待ちに待った瞬間である。これまでの様々な苦労が脳裏に浮かぶ。悩んで眠れぬ夜も有った。それでも自分を信じて最後まで諦めなくて本当に良かった。達成による歓喜で勝利の雄叫びを社員や職人達と乾杯のジュースと共に富士山へ捧げる。
ありがとう!!
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実験
掘削工事を無事に終えた後は保健所の立入り検査と県の審議会の結果を待つのみとなる。そこで私は社員と毎日の様に源泉へと足を運びホースの先から溢れる水の色や温度、または飲んで味を確かめたり顔や手を洗ってみたりと様々な実験の日々を過ごす。最初は美味しくも無い只の泥水だったがこれまでの苦労や、 地下 1500mから湧き出る10万年前の太古の水(業界に広まった噂を聞いて視察に訪れた地質学の権威、某博士による談話)である事などを考えるだけで浪漫に満ちたその泥水が美味しく感じられた。因みに地質学の権威によると富士山の地下の地層は~500mぐらいまでが数万年前に起きた富士山の噴火による溶岩が蓄積した岩盤で、500~その下は数十万年前の愛鷹山の噴火による岩盤との事だ。愛鷹山が富士山より高い4000m級の山だったそうだがいやはや何とも驚きである。そんな所に1500mも穴を掘ったのであるから富士山の地質について研究する科学者達も話を聞かずには居られぬのだろう。
保健所
2012年10月29日、待ち侘びた保健所による最初の立入り検査が開始された。井戸の掘削深度が申請通りかを確認すると同時に、正式なポンプが入るまで井戸に挿入する仮ポンプも申請した通りの物かを保健所の職員が現場に立ち会って確認する。掘削深度は申請した深度より僅かlmでも深く掘ってはいけない規則になっているので私も職人達も大変に神経を使う場面となる。問題がないように、掘削に使用したシャフトに1本1本番号を打って証拠となる写真を撮って提出する。シャフトの長さ×本数=深度というわけだ。大きな問題はなく無事に終わる。
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温度
いよいよ井戸の内部ヘセンサーを人れての検層が始まる。検層する事で地下の地層や地熱、水脈など全てが分かる。この井戸に関しては地下500mで約13℃、1000mで22℃と業界の定説よりかなり低い結果となったが、1500mでは40℃と深くなるにつれ少しずつ高くなった。しかし、地表に達する時には上部の低い水と混ざって冷めてしまう為に温泉法の定義である26℃ギリギリとなってしまう。温泉として何とか1℃でも高い温度を維持して地上へ汲み上げるためにはどうしたら良いのか?この問題を解決しなければならない。
水量
更に仮ポンプを使っての数週間に渡る揚湯試験が行われる。これにより井戸の能力が明らかとなる。この試験では井戸に圧力を加え一定期間ポンプで汲み上げる試験を行う事で井戸の上水位がどのように変化するかを調べ、そのデータに基づき温泉審議会や保健所より一日の揚湯量が決定されるというとても重要な試験となる。またその結果を経て井戸に正式に設置する水中ボンプの性能や制御盤の機能などが決定するため非常に重要な過程である。温泉にとって一日の揚湯量は生命線である。日本でも有数の削井士が掘削当時に「この地層では毎分60~70リットル出れば上出来だ」と随分と消極的なことを言っていたのが思い出されるが、これも揚湯試験の結果次第であって”絶対に出ない”と言われた場所から水が出た今の私にとっては定説など全く関係無いのだ。
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解決策
温度と揚湯量の問題を解決するために私は藤田ポーリングおよび今回依頼をしたポンプメーカーである、おかもとポンプ株式会社の技術者や設計チームと打ち合わせを重ねた結果、井戸内部に用いる揚湯管には一旦、温まってしまうと冷め難いグラスファイパー管(日立造船所製)を使用し、更に通常の井戸であれば水中ポンプ上部だけの所を何と日本の温泉では初と言われるポンプの下部(ポンプ設置水位450m)から地下の最深部である1480mまでも全てにグラスファイバー管を入れる事に決定した。これには莫大なコストが掛かる設計となるが1℃でも温度を高く、少しでも濃い成分の原水を汲み上げるためと私は富士山頂より飛ぴ降りる気持ちで大きな決断を下したのである。

終わりに

現在、私はこれまでの様々な決断が正しかったと自信を持って言える。何故ならば源泉の揚湯量は削井士の予想を遥かに上回る毎分100リットル、温度は26℃からスタートしたものがグラスファイパー管の効果により平均30.5℃を一年半も維持しているのである。加えて水質・上水位も共に安定しており保健所による検査等も問題は全く無い。問題が無いどころか、驚いた事に原水が飲用としての水質検査に合格するという奇跡まで起こしているのだ。入って善し、飲んで好し、こんな温泉がそれも世界遺産である富士山から湧いている。こんな結果を誰が予想したであろうか?しかし私は決して次の事実を生涯忘れる事は無いだろう。この源泉は私一人の力で当てたのでは無いという事を。

ここに、関係者の皆皆様を始め別荘内の各オーナー様に謹んで感謝を申し上げる次第です。また、この一大プロジェクトの最初から現在に至るまで協力を惜しむ事無く応援して下さった十里木別荘管理株式会社の坂上社長様、並びに管理事務所の二之形所長や各従業員の皆様にも心より感謝を申し上げます。全貝が一丸となっての『温泉を出してやろう!』という気持ちがあってこそ成し遂げられた一大事業です。
此の世界遺産「富士山」より湧く世界一の十里木温泉を利用して地元は勿論、裾野市のプランドとして此処“十里木”の名を世界に発信してゆきましょう。
協力事業者
株式会社 藤田ボーリング
おかもとポンプ 株式会社
十里木別荘管理株式会社
神奈川県 温泉地学研究所
  財団法人 静岡県生活科学検査センター
有限会社 南麓建設
株式会社 稲荷電工機
壮建築(順不同)
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